1 2012年 06月 06日
![]() 6月17日のギリシャの再選挙が世界中から注目されている。アメリカの大統領選以上かと思えるほどである。今日はいわゆる「ギリシャ危機」についてのコメントではなく、ひょんなことからギリシャと長く付き合ってきた中の幾つかのエピソードを書いてみたい。題して「ギリシャ 異聞」。 私が最初にギリシャと拘わったのは、1972―3年頃。今から40年も前である。日本の合繊メーカーが化学プラントをアイルランドに建設する。その素材を使って、いわゆるダウンストリームの産業をギリシャ、モーリシャス、イタリー、イギリスに建設しようと言うものである。これに私の勤務していた商社も一枚絡んだ。ギリシャ最大の繊維企業であるP-P社、(当時から公務員に次いで雇用が大きな会社)をパートナーに選び日本の延岡、宮崎、高知などの工場を見学の後大阪での最終ネゴとなった。この会社は1919年に2つの家族が設立した。その時から息子たちは一人はアメリカの、一人はイギリスの大学に留学させ、それぞれ経営学と機械工学を学ばせる・・という取り決めをしたそうである。社長・副社長とも素晴らしい英語を話し、その上経済、文化、政治あらゆる分野に深い知識を持ち、アテンドが楽しくてすっかりファンになった。結果は日本側が私から見ても理不尽と思えるような要求を出し合弁には至らなかったが、離日する時ぜひギリシャを訪ねてきてほしいと暖かいお誘いがあった。(この数年後同社を訪問する機会があり、本社・工場の隅々まで案内してくれ、今のギリシャ人の働き方ではだめだ、日本を見習うべきだと力説されていた。) 翌年英国への赴任となった。最初のホリデーにアテネを選んだ。パルテノンの荘厳さにはただただ圧倒された。現地通貨のドラクマは弱く、イギリス(当時のポンドは強かった)から行った我々には全てが安くびっくりした。それでも現地の人たちは3時ごろには家に帰ってシエスタ(昼寝)をとり、10時ごろから夕食に繰り出す。白い酒ウゾーを飲みながら、ワイワイと夜中まで語りあかしている。何とも優雅な国だなと思っていた。 ギリシャにはオナシス家始めとんでもない金持ちがいるが、それほどではないがアメリカで成功した政商パパスさんという方が、アメリカの第7艦隊向けのビジネス、鉄鋼の輸入などで活躍していた。鉄鋼部隊にいたHさんが大層気にいられ、ギリシャに製鉄会社を作ろうと言うことになった。(当時の日本は結構大胆でしたね)N鋼管が技術面を請け負って Hellenic Steel(ギリシャの英語記述)が出来上がった。オリーブ、果物か衣料くらいしか輸出品がない国で、新会社への期待は大きかった。主な輸出国はドイツである。ドラクマ安が生きてくる。というわけで広大なパパスさんの家に何回か呼ばれた。アメリカ海軍の高官、エッソなどの石油関係者(エッソ・パパスという石油会社も持っていた)、などが集まり、世界の動向の話をしている。若造の私がお酒のサービスをしながら、いつの日かこういう会話に入れるように勉強しなければと思ったものである。ギリシャが地政学的に如何に重要な国であるかということが痛感された。当時は東西冷戦の真っ最中、ソ連としてはギリシャを左傾化しようと必死のころである。(若くしてHさんがガンで亡くなられたが、パパスさんが弔問に来られ、ジーとHさんの手を握られていたのが印象的だった。) そんなこんながあって、2度目のロンドン駐在となった。ある日英国政府の保険部門であるECGDの訪問を受けた。従来英国製品輸出のみにかけられていた貿易保険を三国取引にもカバーできるようにしたい。ついてはこの分野に強い貴社でやってみないかという。当方もギリシャ、スペイン、ポルトガルなどに与信ができないので困っていたが、これらも良いのかというと大歓迎。まずギリシャでと大きな枠をくれた。一応客先登録はしてもらうが、審査はごく簡単、早速始めてくれという。20年ほど前の話である。ギリシャのエージェントのSさんとEさんに話をすると綿糸の輸入だと言う。いまドイツの保険会社が少しの枠を出しているだけで、殆どのニッターは原料が手に入らない。糸さえあればドイツでもイギリスにでも製品輸出ができると言う。パキスタンの最大の紡績社長に来てもらい、1週間それこそ朝から晩まで南から北のテッサロニキまで売り歩いた。朝の7時には車でスタート、夜の6時ごろまで商談が続く。ホテルでシャワーを浴び仮眠をとって、10時からディナー、1時ごろからサロンで歌を聴く。なんと3大テノールが出ていたり、スペインのイグレシアスが出ていたり。3時ごろ帰って、バタンキュー。最後の日はSさん保有のヨットでエーゲ海に繰り出したが、勝利のシャンパンを空けてそのままぐっすり。しかしこんなに働くギリシャ人は見たことない。車を運転していてもビジネスの話をしゃべりっきり。私のギリシャ人観が一変しました。(後日談があり、最初は予定通り支払いがあったが、ちょっと広げすぎたのかそのうち支払いが止まり始めた。スペインのポルトガルも同様だった。ECGDはきっちり保険を支払ってくれ感謝をしていたが、小生が帰国して数年後国営をやめ、オランダの私企業に売却したよし。ある方は政府は最初から民営化を狙っていたので、不良債権をわざと作らせたのではないかという。まさか・・・) 2004年アテネオリンピック。D社というスポーツの社長をしていた関係から、当社の関係選手応援も兼ね再訪。柴田亜衣選手がまさかの800m優勝。皆さんから祝福を受けた。高校の同級生がギリシャ大使をしていたのでしばし歓談。2001年にユーロに加盟していたので、何もかも高い。こんな経済力、国力の差がある国が通貨だけ同一にして本当にやっていけるんだろうか?という質問に「いつかはやっていけなくなるだろう。しかし今はみんなそう言うことを考えず、楽しくやっている。私の秘書も2つ別荘を買った」と。 古代ギリシャは西欧民主主義の原点であり、ギリシャには特別な思いがある。また第2次大戦前後共産党が強く、一時はソ連ブロック入りかと危惧されたこともある。チャーチルの老獪さと、アメリカの大胆な介入で西側にとどまった。世界から「ギリシャ人は自分勝手だ。働かない。公務員天国だ」と散々である。日本人はそんなこと言えるほど立派なことをしているんだろうか? 以上 ■
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by boosternet
| 2012-06-06 16:24
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プロフィール
田尻邦夫
NPO法人 新社会人養成塾 BOOSTER 代表理事 [略歴] 1966年 伊藤忠商事株式会社に入社 1996年 同社取締役アパレル第一部門長に就任後、常務取締役業務部長、常務取締役経営企画担当役員など 数々の役職を歴任 2001年 株式会社デサント代表取締役副社長に就任 2002年 同社代表取締役社長に就任 2007年 6月より株式会社デサント相談役 最新の記事
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